田久保と原のよもやま話[その17]
この動画は、『田久保と原のよもやま話』として、『CTPeak真理の集い(サットサンガ)』のグループセッション中に、田久保と原が話していた「どうでもいい話」です。
2023年、新年最初のよもやま話ですが、相変わらずどうでもいい…オチのない内容です ^^;
興味のある人、時間に余裕がある人…
暇つぶしに、軽〜い気持ちで見たい方だけ見てくださいませ〜(^_−)−☆
CTPeakのリラックスした雰囲気を楽しんでいただけたら幸いです^^
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注※繰り返しになりますが、聞き手を意識したり、皆様の学びを前提として収録したものではありませんので、そういう意味での「ツッコミ」はご遠慮くださいm(_ _)m
[その17]の内容
● 時間が経つのって早いね
● なぜスピリチュアルは怪しい?
● 絶対安心の境地を静かに思い出す
● パワースポットのよもやま話



よもやま話、いつも楽しく拝見させて頂いております。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
さて、お話の中に『スピリチュアルは何故怪しいのか?』との話題がありましたが、私はこのお話を聞いていて思った事があったのでコメントさせて頂きました。
原さんも仰っていたように、はるか昔は神様と人とは近い存在で、あらゆる日常の中に常に神様を意識していたと思います。
それが近代になって《スピリチュアル=偏り=怪しい》という図式を生んでしまった。
しかし、CTpeakがスピリチュアルっぽくないのは非常にバランスが取れてるからなんだと思います。
つまり、偏ってない。
偏っていないと言う事は、調和が取れているということ。
田久保さんが言う“普遍意識”に近い状態だからこそ、“スピリチュアルっぽくない”のだと思いました。
また、私はこれまでCTpeakで学んできて、感覚的にスピリチュアルを学んでいるとあまり思った事がありません。
きっと無意識に上記の事を感じていたのかもしれませんが、私の中では『道徳』とか『生き方』とか『考え方』を学ばせて頂いてる感覚です。
だから、私はCTpeakの学びは幼稚園とか小中高、大学まで段階を踏んで教科として学ばせたいくらいです。(笑)
きっと、昔はそんな事学ばなくても、親から子へ、日常の生活の中で自然と受け継がれていた事なのでしょうが、人と人との繋がり、人と自然との繋がりがだんだん希薄になっていき、今の状況になってしまったのかなぁと思っていました。
あ!だから“思い出す”事や“腑に落ちる”“識っていた”という感覚になるのかもしれませんね。
長くなりましたが、そんな訳でこの学びが今の時代を生きる上で最も重要な生きる柱となっております。
いつもありがとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
怪しくないスピリチュアル研究会是非やりたいです笑